感染症対策のため本来より座席が間引きされていたものの、初日満席を迎えた音楽ドキュメンタリー『大海原のソングライン』。この日、本作に深い関心をよせていただいた批評家の金子遊さんと人類学の目線から本作の解説を依頼した石村智さんをお迎えして、上映後トークショーを行いました。その内容をこの場にて公開いたします。
金子遊さん(以下:金子):今回トークをさせて頂きます、批評家で多摩美術大学 准教授の金子遊と申します。よろしくお願いいたします。
石村智さん(以下:石村):私は東京文化財研究所の石村智(いしむらとも)と申します。この映画で出てきたオセアニアの人類学と考古学を研究してきたものです。今日はよろしくお願いいたします。
金子 遊
1974年、埼玉県生まれ。批評家、映像作家。アジア、太平洋諸島、中東、アフリカを旅しながら、映像とフォークロアを研究。著書『映像の境域』(森話社)でサントリー学芸賞〈芸術・文学部門〉受賞。他の著書に『辺境のフォークロア』(河出書房新社)、『混血列島論』(フィルムアート社)、『ワールドシネマ入門』(コトニ社)など。共訳にティム・インゴルド著『メイキング』(左右社)、アルフォンソ・リンギス著『暴力と輝き』(水声社)など。多摩美術大学准教授。東京ドキュメンタリー映画祭プログラム・ディレクター。
石村 智
1976年、兵庫県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了、博士(文学)。独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所を経て、現在、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所無形文化遺産部音声映像記録研究室長。専門はオセアニアの人類学・考古学・文化遺産学。著書に『ラピタ人の考古学』(溪水社、2011年)、『よみがえる古代の港:古地形を復元する』(吉川弘文館、2017年);『景観人類学―身体・政治・マテリアリテ』(共著、時潮社、2016年)、『水中文化遺産論集―海から甦る歴史』(共著、勉誠出版、2017年)。
金子:さっそく時間が少ないのでお話伺っていきたいのですが音楽ドキュメンタリーって非常に名作が多くて、ヴィム・ヴェンダースがキューバ音楽を撮った『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999年) とかですね。あるいは無文字社会の民族をテーマにしているフランスのトニー・ガトリフ監督という人がいます。ロマ民族の歴史をテーマにした『ラッチョ・ドローム』(1993年)という映画では、彼らがインド北部からエジプトを通って、最後はスペインのアンダルシア地方にやってきて、フラメンコ音楽ができあがるまでのドキュメンタリーを撮っています。本日上映された『大海原のソングライン』みたいに音楽だけで、言葉で説明しないで、民族の歴史を語ってしまう素晴らしい音楽ドキュメンタリーがあるんです。
僕がこの『大海原のソングライン』を初めて観た時にも、一目惚れというか興奮しまして、こんなすごい名作が出てきたんだ、というふうに思いましたね。
原題は「Small Island Big Song」ですけど、邦題に「ソングライン」と付けてきたのが非常にうまいなぁと。この映画を作ったティム・コール監督とバオバオ・チェンさん、二人は音楽プロデューサーなんですけども、たまたまオーストラリアのアボリジニの集落で彼らの“ソングライン”と呼ばれる無文字社会における知恵の伝承を歌にしたものを収録していたときに、この映画の製作を思い付いたということで、ソングラインという邦題を付けたらしい。ざっと感想を述べましたけど、石村先生はこの映画を最初にご覧になって、どのような感想をお持ちになりましたか?
石村:そうですね、やはりソングラインっていう邦題が面白いなって思いました。この映画で取り上げられている、いわゆる南洋語族という人たちは共通の祖先を持っていて、この映画で紹介されたように、もともとは台湾あたりにいた人たちがカヌーを使って、地球のほぼ半分くらいの面積を占めるようなの範囲に広がっていったのです。文化的にも言語学的にも繋がりを持ったまま広がって行ったのですね。そういう繋がりが、「ライン」、すなわち、血の繋がりであったり、コミュニケーションであったり、そういったものを想起する感じでしたので、素敵な邦題だなと思いましたね。
遺伝子の記憶みたいなものが、距離を越えた音楽のセッションの中で繋がってくる。
金子:オーストロネシア人(南島語族)の話なんですけど、台湾原住民のパイワン族の歌手の方が一曲目で出てきて、そういう人たちがフィリピン、それから東南アジアのインドネシア、そしてニューギニア島北部に渡って行った、オーストロネシア人の人たちの痕跡をたどっていく。それで、石村先生のご専門はラピタ人ということなので、ニューギニアの東にあるビスマルク諸島からソロモン諸島、そして今のフィジーからサモアのあたりですね。
そして『大海原のソングライン』では、ラパヌイ(イースター島)の歌手なんかも出てきてびっくりしました。この映画の中ではオーバータブという音楽の手法を使ってるんですね。要するに、1人が演奏したものを次の人のところに持っていて、次の人はその曲に音楽を重ねていくという重ね録りをやっている。オーストロネシア人が拡散していった、紀元前4000-3500年あたりから現代まで、数千年にわたって大海原を移動していった人たちの遺伝子の記憶みたいなものが、距離を越えた音楽のセッションの中で、メロディーとかリズムとか色んなものが繋がってくる。言語を越えたっていうか、文化を越えたというか。その辺がものすごく面白いなと思いました。
実際にソングラインとはアボリジニにとっては、祖先が示した道のことですね。歩いていくと砂漠の先に村があるとか、岩とか湖とか川とかがランドマークになって、神話や歌や踊りの形で集合的な記憶として残っている。そういうものがオーストロネシア人にもあるという前提で、この映画は作られてると思うんですけども。そのようなことは実際にあり得ますか?オーストロネシア人の共通の歌や神話や音楽の感性みたいなものがあるということは。
石村:そうですね、オーストロネシアの人たちというのは、神話などは共通したものを持っていて、例えば映画の中ではニュージーランド、アオテアロアの歌手が歌っている歌詞の中にハワイキという言葉が出てくるんですけど、ハワイキっていうのはハワイと同じ意味を持つ言葉なんですね。ハワイキというのは彼らの祖先が住んでいた土地のことで、ハワイの人たちは、自分たちの住む土地に、先祖の土地にちなんでハワイと名付けたわけなんです。
そういった神話がポリネシア全域に広がっています。ポリネシアだけでなくて南洋語族に共通していることは、彼らは文字を持たない人たちなんですね。しかし文字を持たないから彼らには歴史がないのかというと、そういうことではなくて、口頭伝承といって口伝えで歴史を伝えてきてるんです。その中で「歌」が果たしてきた役割が大きいようです。また歌は歴史を伝えるだけでなく、いろんな呪文のような「チャント」とというものがあって、例えば航海をするときに、雨雲を打ち払うための「チャント」があったりします。言葉に対する力を信じているという、そういう人たちなんじゃないかなぁというふうに思いますね。
どのようにして数百キロという海をポリネシア人の祖先たちは渡ったのか?
金子:海を渡っていった人たちにとっては、実際に大海原に出て、次に島があるかどうかわからないところで旅をしていた。しかも太平洋の南方というのは、海流が東から西へ流れているので、海流を遡ってハワイ島やイースター島へ向かわなくてはいけない。伝統航海術の話を聞きたいのですけども、ウェイ・ファインディングとかスターナビゲーションという言い方をしますが。当時は羅針盤みたいなものがなくて、北半球だったら北極星、南半球だったら南十字星ですね、星座あるいは海流の流れ、風向きを頼りに旅をしていった。あるいは生物相という生き物が島々によって変わっていく、ポリネシアでいうと東に行くと蛇やワニが居なくなると言われていますけれども、そういうものを見ながら航海したともいわれます。実際どのように数百キロ数千キロっていう海を、ラピタ人やポリネシア人の祖先たちは渡っていったと考えられているんでしょうか。
石村:今お話にあったスターナビゲーションっていうのが大きな役割を果たしていて、それは星を見ながら航海する技術なんですけれど、彼らは方位を32の方位によって認識しているそうなんですね。それぞれの方位からどの星が上がって、どちらの方位に落ちていくのか把握している。例えばオリオン座はこちらから上がってきて、こちらの方へ沈む。これが緯度が同じであったら必ずその方位に落ちる。緯度が変わると出てくる星の方位も変わる。そのように頭の中にプラネタリウムが入っている感じで、空間を認識しながら自分の位置を確かめていく。
これがすごく示唆的なのは、実は航海に適しているのは昼ではなく夜なんですね。昼間は太陽ぐらいしか方位を知る手段がないんですけど、夜の星はもっと細かい精度で方位を知ることができます。例えば我々は夜の暗い海なんて言うのは非常に恐ろしい存在で、航海に出ていくなんて命知らずだと思いがちなんですけど、星の知識がある人にとってはむしろ絶好の船出のチャンスなのです。つまり伝統的知識と言いますか、世界をどう認識しているかによって、世界との関わり方は変わってくるということは感じますね。
石村智(考古学者・東京文化財研究所
音声映像記録研究室長)
金子:もう少しお伺いしてみたいのは、カヌーについてですね。丸木舟というか、木を切り抜いたカヌーですけども、僕がフィリピンのビサヤ諸島やパラオに行ったときには、今でもアウトリガーカヌーという、ダブルアウトリガーとシングルアウトリガーがありますけど、片側に浮木を付けたり、ダブルだったらアメンボみたいな形で付けている舟を見ました。あれが遠くまで航海できた秘密なんでしょうか?
出典:アロハプログラム(https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/279)
石村:そうですね。しかし実はカヌーというのも、オセアニアが植民地になった時に文化としては一度失われてしまっているのです。しかし近年、またカヌーが文化として復活してきています。なぜ今復活してきているかというと、植民地化で失われたものを自分たちで取り戻そうという意識が今、彼らの中で出てきていて、その中でカヌーというものが一つの象徴的なものとしてみなされているんですね。それは自分たち祖先がここまでたどり着くための乗り物であって、しかも伝統的な知識が全て詰まっている。それで各地でカヌーを復活させようという動きが盛んになってきているのです。
金子:カヌーというものは、考古学で研究しようとしても、木が腐って土に還ってしまうのでなかなか発掘されにくいんですよね。
金子:そして音楽ですよね。音楽の素晴らしさ、バリ島から台湾の先住民、ハワイからイースター島まで、様々な音楽が混ざってきる。映画に出てくる民族楽器が素晴らしいですね。アフリカの音楽と実は共通点があると、石村先生はこの映画に捧げた文章のなかで書いていらして、そこには16ビートがあるんだといます。つまり、表裏表裏の拍子が非常に細かいビートで、歌や踊りのなかにリズムを刻んでいると。次は音楽の話を聞かせていただけますでしょうか。
石村:幾つか太鼓のようなものが出てきたと思いますが、特徴的なものがスリットドラムというものでして、木をくり抜いてそれを叩くんですね。かなり速いビートを刻むのが特徴です。私が思うに、スリットドラムは木をくり抜いていますが、先ほど話に出たカヌーも木をくり抜いて作っているんです。スリットドラムとカヌーの間に彼らの中に共通したイメージがあるんじゃないかと思っています。カヌーを漕いでいると、パドルがカヌーの胴に当たるのですが、その時に音が出ます。カヌーを漕ぐときにパドルが当たる規則正しい音のリズムが、音楽にも反映されているのではないかなと。これは音楽史の方に聞いたわけではないのですが、私はそう考えています。当たらずしも遠からず、ではないかなと思います。
金子:アメリカの黒人のブルース音楽が、奴隷だった時代に畑を耕していたザクザクという音にルーツあると言われているように、ポリネシア人の中にもカヌーを漕ぐ音が肉体化、身体化されているところがあるのですね。
非常に面白いのは、ティム・コールさんとバオバオ・チェンさんは音楽プロデューサーですけど、民族誌というのは学者の方がある少数民族なり共同体の中に入っていって、生活や民俗文化を記述することだったと思うんですが、今では写真家や映像作家、美術家や音楽家の人たちがそういうところに入っていって、フィールドワークをして民族誌的な記録を残すことを、アート作品の制作のなかでやるケースが増えているのかと思います。そのときにジャン・ルーシュが唱えた共有人類学というもの、現地の人たちから白人が一方的に搾取するのではなくてシェアをする、利益も分け合うし、彼らの歌いたい場所で歌っていただくという、大切なのは一緒に作っていくという感覚ですよね。『大海原のソングライン』では、このような態度と、地球の環境問題のテーマが結びついていると思います。石村先生はフィジーやサモアに毎年行ってらっしゃるようですが、やはり海面上昇や温暖化の問題というのは、現地において重要な問題になってきていますか?
石村:彼らにそういう意識はすごく高まってきていて、それは本当に自分たちの国がなくなってしまうかもしれないという危機感ですね。特にツバルやキリバスといった国はサンゴの島で標高が3メートルぐらいしかないので、海面上昇はすごく影響を受けて、将来的には沈んでしまうと言われているんですが、実はそれ以前に、今すでに影響が出てきています。
映画の中にもタロイモが作れなくなった話がでてくるんですけど、こういったサンゴ島では川も湖もないので、地面に穴をほってそこから出てくる地下水を使ってタロイモを育てているんです。それが、海面上昇の影響によって地下水の塩水の濃度が濃くなってきて、作物が作れなくなってきているんですね。ですから、国土が失われる前にすでに彼らの伝統的な生活様式が先に被害を受け始めている。そういう意味では既に深刻な被害が進んでいるというのが現状ですね。
金子:ありがとうございます。たぶんこれで最後の質問になると思うんですけど個人的な質問として、僕は『辺境のフォークロア ポスト・コロニアル時代の自然の思考』という本を書いたことがあります。その中で、柳田国男が言ってきた「海上の道」というもの、要するに日本列島人というのは沖縄や東南アジア、ミクロネシアといった南方からやってきた可能性があるという説があります。オーストロネシア人と縄文人の関係性は、石村先生が解説の方で書いてらして、南九州の隼人とか、邪馬台国が九州にあったのだとしたら、そこにもオーストロネシア人的な痕跡が見られるとする。もしかしたら、この『大海原のソングライン』というのも、他人事というかエキゾチックな文化的他者の音楽や文化ではなく、私たちの原初的な一部分である可能性があるんですが、その辺りを詳しく伺いたいです。
石村:私が調べていたポリネシア人やその先祖であるラピタ人というのは、人骨を調べてみると縄文人と共通するところがあるんですね。それは短絡的に、縄文人が南からやってきたととか、縄文人がポリネシア人になったとかいうのではなくて、おそらく相互交流があったんですね。縄文人も丸木舟という、アウトリガーはついてないんですがいわゆるカヌーを使って海を航海するような、ポリネシア人たちと似たような生活様式をしていて、両者の間で文化的にも人的にも交流もあったんじゃないかと。海はつながっているので、今の地理的な区分とは関係なしに繋がっていくのは当たり前なんですね。解説文にも書いたんですが、日本をヤポネシアとして理解すべきではないかと作家の島尾敏雄が提唱していますが、太平洋の繋がりということで、我々もオーストロネシアの人たちと共感するところがあるのではないかと感じるきっかけに、この映画がなればいいんじゃないかと思います。
金子:ありがとうございます。話は尽きないのですが、終わりの時間が来てしまいました。この『大海原のソングライン』という映画は東京で公開がはじまり、これから全国に広がっていきます。ぜひみなさんのお力を借りして、コロナ禍の大変な時期ですけど、多くのお客さんに見ていただけるようにSNSや口コミで広めていっていただき、大きなうねりにしていって頂けたらありがたいと思います。
では、ここで初日のトークイベント終わらせていただきます。石村先生どうもありがとうございました。
(2020年8月1日 シアター・イメージフォーラムにて)